ヒラリラーのブログ

ゲームレビュー・旅行記ブログです

2021年12月長崎旅行

f:id:hirarira_mp:20220104135025j:plain

前回・前々回では過去の旅行を紹介しましたが、今回はこの間行ってきた長崎旅行について紹介したいと思います。

前と違って記憶がまだフレッシュなので細部までお届けできるかと思いますが、1ヶ月経過してるのでやっぱり細かい部分の記憶違いがあるかもしれません。ご承知ください。

 

今回の旅行の大きな目的としては、青春18を使って鈍行列車で長時間移動がしたいことでした。前々から旅行記見てくださっている方には察しているかもしれませんが、私にとって旅行とは目的地での観光は目的の半分に過ぎず、もう半分は行き帰りの過程にあると考えています。

そんなわけで前々から行きたかった陸路で行ける西の果ての地である長崎を目的地に選んだのですが、さすがに青春18だけで長崎に行くとなると東京を早朝に出発しても長崎到着は2日目の夕方になってしまいます。そこで一部区間は高速バスを使ってワープすることによって移動を1日に押さえて東京から長崎までを移動するルートを構築しました。

初日-2日目:長崎まで

旅の始まりはおなじみのバスタ新宿からです。やっぱりここから発車する夜行バスの発車標を見ると往年の寝台列車を彷彿とさせていいですね。現代の東京のJRで見られる行き先は新幹線とサンライズ以外ではもう近距離だけとなってしまいましたが、ここには青森や博多、徳島、金沢など色々な遠方の行き先が並んでいます。

ただ、今回は長崎まで向かいますがバスに乗るのは京都までとなります。そんなわけで第一走者としては新宿22:15発KBライナー801便に乗車します。乗車して早々に完全消灯となったのですが、さすがは4列シートというかうつらうつらはするもののSAに止まるたびに目が覚めるような有様であまり熟睡は出来ませんでしたね。

f:id:hirarira_mp:20220104140741j:plain

第1走者 千栄交通KB801 バスタ新宿22:15 → 京都駅5:10

京都到着は午前5時ちょうど。予定では05:10だったので幸いにも早着となりました。ここからは青春18を使ってひたすら西に進んでいくのですが、接続列車の出発時刻が京都5:21だったので、バス延着の場合に備えて3つくらいプランを立てていて、最悪博多まで到着できれば挽回できるようにしていたのですが幸いにも予備プランは実行しなくて済みました。そんなわけで京都から乗車するのがこちらになります。

f:id:hirarira_mp:20220104140955j:plain

第2走者 東海道線 快速 網干行き 京都 5:21 → 姫路 7:30

写真だと伝わりづらいですが、これ快速電車と貨物列車が並んで入線してきたので面白かったですね。速度も同じくらいで並んで走って入線してきました。

普段ですと姫路までの列車は新快速となるのですが、早朝時間帯の場合には新快速は運転されておらず快速になってしまいます。それでも十分早いですけどね。

その後は日も暗い中大阪・三ノ宮と通り過ぎて行きまして、三ノ宮を出た当たりで日が明け始めたと思います。思いますというのは日も暗くて高速バスでもあまり寝れなかったので車内で寝ていたためです。同じ車内でも窮屈な4列シートより隣に誰も座っていないクロスシートの方がよく寝れますよね。

そんなわけであっという間に姫路に到着。ここで新見行きに乗り換えとなります。日中時間帯だと播州赤穂行きの新快速に乗車して、相生で降りて山陽本線に乗るか播州赤穂まで乗車して赤穂線経由で行くか悩むところですが、今回は良くも悪くも接続列車がありますので山陽本線経由で岡山まで向かいます。車両は113系でして例のごとく末期色。車内は混み合っていましたが、やっぱり短距離客が多いようで相生までには空席が出て座ることが出来ました。

f:id:hirarira_mp:20220104141201j:plain

第3走者:山陽本線 普通 新見行き 姫路 7:31 → 岡山 9:08

相生までは近郊区間という雰囲気が強く田園などもありつつも基本は住宅街と行った景色なのですが、相生を出ると一気に山の中と言った雰囲気になります。相生を出ると岡山はすぐという印象があるのですが、実際には1時間位かかったのですがから意外と遠いものですね。

f:id:hirarira_mp:20220104141627j:plain

第4走者:山陽本線 普通 三原行き 岡山 9:11 → 糸崎 10:45

岡山で乗り換えはありましたが、車両は相変わらずなのであまり乗り換えという雰囲気はありませんでしたね。西阿知駅を出ると鉄橋にさしかかり一瞬ではありますが瀬戸内海が見えました。そのまま新幹線の高架橋と合流して新倉敷駅に到着しました。その後は尾道のあたりで瀬戸内海沿いを走りまして、終点の一つ前の糸崎で下車しました。

f:id:hirarira_mp:20220104142317j:plain

第5走者:山陽本線 普通 岩国行き 糸崎 10:53 → 岩国 13:04

糸崎は高い建物がないせいか空が広く見えましたね。車両も新車である227系に入れ替わりまして、かつて國鐵廣島と呼ばれていた広島エリアも近代化が進んだもんだなあと思いながら乗り込みました。JR西の良い所はちゃんと新車になってもクロスシート車を残してくれることでして、旅行者としては車両の外見より内装のほうがまあ重要ですよね。

三原からは再び内陸に入りまして、八本松を出るといよいよ山陽本線の難所とも呼ばれる瀬野八の区間に入ります。まあ急勾配で有名とは言え、蒸気機関車牽引の主要幹線としては難所というだけで普通に乗っている分には普通の山の中の景色が広がっているだけでしたね。それでも瀬野駅から伸びるスカイレールサービスの勾配をみて凄い急だなあと実感することも出来ます。現代の旅客列車にはなんてこと無い勾配にはなりましたが、やはり超大編成の貨物列車だとまだまだ難所のようで各地に引き込み線があり、牽引用と思われる電気機関車が何台か止まっていたのがそれを思わせました。

f:id:hirarira_mp:20220104143956j:plain

瀬野八超えの瀬野駅。奥に見えるはスカイレールサービス

瀬野八を超えるとすぐに広島駅に到着しました。広島駅は中国地方の大都市だけあってホーム数も多く立派ですね。けど大体の列車は拠点駅から拠点駅までを区切って運転されるのですが、山陽本線では広島発着の列車はあまりなく、ほとんどが岩国まで行ってしまうのが少し不思議でした。広島駅を出るとしばらくは広島電鉄と並走…と言っても実際に見えるわけではないですが、それでも前に宮島に行った時に使った宮島口なんかを見ると当時のことを思い出しちゃいますね。広島から1時間程度で終点の岩国に到着しまして、次の列車まで40分の間隔があるのでここで昼飯と行きました。

とは言え時間もないので駅前にある100時間カレーに行こうかと計画していたのですが、直前になっていて閉店していることが判明し急遽ココイチでカレーを食べるように計画変更しました。岩国駅を降りてからは時間大丈夫だろうと思ってゆっくり行動していたのですが、意外とカレー食べ終わると出発5分前と時間もなくて、補給ポイントがここを逃すと九州まで無いのでコンビニで買い物をするとギリギリの乗車となってしまいました。幸いにもちょっと列車が遅延してたので余裕ではありましたが・・・

f:id:hirarira_mp:20220104145026j:plain

第6走者:山陽本線 普通 下関行き 岩国 13:44 → 下関 16:49

ここからはロングラン列車に乗車となります。岩国から一気に下関まで向かい、乗車時間はなんと3時間です。昔(と言っても数年前まで)は山陽本線にもっと長距離の普通列車が走っていまして、岡山発下関行きの369M列車が走っていたのですがこれもいつの間にか廃止となってしまいました。ただ、最長時間列車となると根室本線滝川発釧路行きの印象が残っていますね。両方とも過去入りしてしまいましたが。まあ根室本線の方は災害で一部区間が廃止ほぼ確定なので、復活の可能性は絶望的なのですが、山陽本線の方は今後もしかすると復活してくれるかもしれませんね。

肝心の岩国からの車窓なのですが正直ほとんど寝ていたので印象に残っていません。徳山の当たりまでは起きていたのですがそこからはずっと寝ていて起きたのは新下関の当たりでした。

岩国を出て30分くらいすぎると大きな橋が見えてきまして、これを調べると本州と周防大島を結ぶための大島大橋のようです。島の海岸は森しか見えなくて一見すると何もない無人島に立派な橋がかかっているのが不思議に見えるエリアでした。

後々調べてみると橋がかかる前は大島連絡船と呼ばれる国鉄の連絡船があった場所のようなので、元々人口の多い島のようですね。名前だけは知っていたのですがこの場所とは知らなかったです。

そして気がつけばもう本州の西端は近く、山陰線と合流すると幡生、そして終点の下関に到着しました。

f:id:hirarira_mp:20220104150805j:plain

第7走者:山陽本線 普通 小倉行き 下関 17:03 → 小倉 17:19

下関にて一区切りなのですが、2日目の旅はまだまだ終わりません。ここからは交直流の415系に乗って関門海峡を超えていきます。関門海峡周辺は6年前に旅行に行きまして、その時の旅行記も残っています。この時は京都から下関まで山陰本線経由で向かいましたね。というか6年前から415系のままなんですねここ・・・

hirarira.net

関門トンネルを出て門司の次は小倉なのですぐに終点に到着し、ここで鹿児島本線の快速に乗り換えて更に西へと進んでいきます。

f:id:hirarira_mp:20220104151323j:plain

第8走者:鹿児島本線 快速 荒木行き 小倉 17:30 → 鳥栖 19:14

冬なので小倉を出るとすっかり日も沈んで来ており、そのままぼんやりとしていると博多に着く前にはすっかり真っ暗になってしまいました。ちなみにこの当たりの区間は小倉から博多を経由して荒木まで全区間で快速運転をするという結構レアな運用となっていまして、旅行者にとっては嬉しい区間ですよね。

以前鉄道で小倉まで来たときにはそのままフェリーに乗って東京に折り返しましたし、九州旅行をする際には福岡空港を起点にするのでこの区間は未乗?と思いきや前に鹿児島旅行した時に乗車していたんですよね。とはいえ日も暮れていたので車窓も楽しめませんでしたが。

博多駅で一気に人も入れ替わり、ここであおかし氏(@aokashi)と合流をしました。

彼は往路はサンライズ+新幹線というリッチな行程で九州上陸を果たしており、余った時間で天神や大宰府などを観光してたようです。

彼視点の旅行はこちらでちょっと触れられてます。

aokashi.hatenablog.jp

無事に合流も出来ましたのでそのまま列車は進み続け、いよいよ長崎本線との分岐点である鳥栖駅までやって来ました。

f:id:hirarira_mp:20220104152346j:plain

鳥栖駅

ここからは長崎本線区間となりまして、この区間からはいよいよ未乗区間となります。この列車は佐賀・肥前鹿島を経由して肥前大浦まで向かうのですが、何も考えず終点の肥前大浦まで向かうと長崎方面の列車がもう一本もなくて進めないという事態に出くわします。何故かというと佐賀県長崎県の県境は普通列車の本数が少なく、終電も18時代にて終わってしまいます。ただ特急はそれなりの本数があるので特急ワープを使えば長崎まで行けるのですが、問題としてこの列車の終点である肥前大浦には特急が止まらないんですよね。そのため手前の特急停車駅である肥前鹿島で降りないと先に進めなくなってしまいます。この区間も県境超えはしんどいのですが、日豊本線の宗太郎越なんか普通列車の終列車が朝の6時台という意味不明なことになっているので、それよりはマシかもしれません。

f:id:hirarira_mp:20220104152452j:plain

第9走者長崎本線 普通 肥前大浦行き 鳥栖肥前鹿島

この列車に乗りまして佐賀も過ぎ、佐世保線の分岐点である肥前山口も過ぎて肥前鹿島までやって来ました。今回は特急ワープをしますが、実は佐世保線経由だとワープなしでも長崎駅に到れるのですが、ワープすると宿に1時間くらい早く入れて、宿まで長崎市電が終電前なので市電で移動できる。更にはワープ金額も1500円程度とそこまで高くなかったのでワープに踏み切りました。

f:id:hirarira_mp:20220104153405j:plain

第10走者 長崎本線 特急かもめ41号 長崎行き 肥前鹿島→諫早

諫早まではおおよそ40分程度。特急だけあって車内は非常に快適でした。夜遅いこともあって人がほとんどいなかったのもあったかもしれません。

諫早では20分くらい時間があったので駅の中を色々探索してきました。島原鉄道もここを発着していて出入口だけ見てきましたが、今度長崎新幹線が開業したら改めて訪問しても良いかもしれませんね。佐世保線なども未乗なので次は佐世保の方を回っても良いかもしれないです。

f:id:hirarira_mp:20220104154353j:plain

諫早駅新幹線改札予定地

そしてこちら。もう今年の秋には新幹線が開業するということで建物自体は出来上がっていました。この姿見られるのは今だけなのでレアかもしれません。

f:id:hirarira_mp:20220104153600j:plain

第11走者 長崎本線 普通 長崎行き 諫早→長崎

諫早駅からの乗り換え列車にはいよいよ行先表示には「長崎」の文字が輝いています。まあ「長崎」幕の列車なら肥前鹿島から乗った特急でもあったのですが、これに乗って目的地まで行けるかと思うと旅ももう終わりかなという気分になってきます。

ここまで来てしまえば長崎はもうすぐで、諫早から約30分程度で終点の長崎駅に到着しました。

 

f:id:hirarira_mp:20220110132158j:plain

長崎駅ではなんと「ななつ星」が停車していました。しかも回送ではなくお客さんを載せた営業運転のようで、我々が長崎駅に到着してから数分後に出発していきました。

長崎駅の構内は長崎新幹線を受け入れるようなスペースが既に出来上がっておりまして、長崎駅構内も工事中のようで出口までは結構長い通路を渡りました。

ここから2日目の宿まではちょっと離れていたのですが、特急ワープの成果でまだ長崎電気軌道が動いているため、これに乗って「観光通り」まで移動。

2日目はもう夜も遅く寝るだけなので、簡素なファーストキャビン長崎で一泊しました。確かに簡素ではありますが出来たばかりなのか清潔感に溢れてまして、小さいながらも共同浴場が付いてましたね。

 

f:id:hirarira_mp:20220110133506j:plain f:id:hirarira_mp:20220110134437j:plain

3日目:長崎観光

長崎に行くまでが目的みたいな所がありましたので、これには目標は達成なのですがせっかく長崎まで来たので3日目は1日使って丸々長崎観光をしてきました。

まず訪れたのが軍艦島です。軍艦島はその名の通り沖合に浮かぶ島なのでそのまま歩いてはいけません。そのため上陸ツアーに参加する必要があるのですが、上陸ツアーの受付をしている所がミュージアムになっているので、早めに到着した上でミュージアムを見学しつつ、時間になったら乗船という流れで動きました。

とは言えちょっと出発にバタついちゃったのと受付が思ったより混雑していたので受付完了が想定より30分くらい遅れちゃいまして、そのせいでミュージアムもちょっとだけしか見れませんでした。まあミュージアムは後からも見れるのでまあ問題はなかったです。今回は軍艦島コンシェルジュ優先プランに申し込んだのですが、優先という名前からギリギリに行っても船のいい席あるだろうと思っていたのですが、実際には優先プランの乗客が多かったせいで後ろの方の席になっちゃいまして、しかも窓際の席はプレミアムの指定席だったので中央席になっちゃいました。まあ道中の景色はあまり期待してなかったのと、優先プランはミュージアム入館料のセットで、個別に買うと通常プランと同じ値段だったのでまあ良いのですが

f:id:hirarira_mp:20220110135443j:plain


出港から約50分くらいで軍艦島が見えてきましたが、この日は波が高く上陸できるかがギリギリのラインのようで、実際に現地に行ってから最終判断を下すとのことでした。島の周囲に到着してから2~3周ほど周回しまして、それから下った判断が・・・残念ながら上陸は出来ませんでした。

出港してしまえば94%の上陸率とは謳っていたのですが、まさか残りの6%を引き当てちゃうとは思いませんでした。

やっぱり港で欠航と言われたなら諦めもつきますが、目の前まで来て上陸不可と言われてしまうと悔しいですね。前に知床岬遊覧船も当日急遽欠航になっちゃいましたし、船運無いのかもしれません。

ちなみに知床岬ダメだった時の旅行記こちらに書いてあります。

f:id:hirarira_mp:20220110140031j:plain

軍艦島全景

船は行きと同じ時間をかけて港に戻りました。軍艦島周辺ではみんな後方のオープンデッキに移動してきたのですが、ダメだとわかるとみんな元の客室内に戻っていきまして、おかげで復路では潮風を浴びながらの景色を堪能できましたね。まあ浴びたのは潮風だけじゃなくて豪快なエンジンから飛んでくる海水とかもありますけどね。

戻ってからは全然見れていなかった軍艦島ミュージアムを本格的に見ていきました。3日目の予定は分刻みではなくてアバウトに行き先しか決めていなかったので、ここも気の向くままにじっくり見学していたら出る頃にはもう14時過ぎになってしまいました。見学終えてミュージアム入ったのが12時半くらいなので1時間半も見ちゃいましたが、おかげて軍艦島がどのような歴史をたどって、どのような生活をしてたかを深く知ることが出来ました。なんか先にこっち知ってから軍艦島行きたかったですね。

意外だったのが軍艦島の本質は地下部分にあって、地下深くまで炭鉱が張り巡らされいて地上部分は生活基盤に過ぎなかったということですね。上に見せた全景の左側の白っぽい建物も7階建ての小学校だったようです。

ミュージアムには軍艦島のCGキャプチャや当時の住居再現、更には放棄されてから建物が崩壊する過程なんかも展示されていて予想以上に面白かったですね。

その後はミュージアム近くに四海樓があるのでそこでちゃんぽんを・・・と思ったのですが混んでるみたいだったので近くの店でトルコライス食べました。

f:id:hirarira_mp:20220110142123j:plain

トルコライス

旅行中は大体適当な店で適当に済ませちゃうのが多いので、今回はちゃんと街の名物料理を食べられました。

その後は路面電車に乗りまして、長崎電気軌道の資料館に移動しました。資料館がある建物は「西洋館」と呼ばれるハイカラな建物で、建物の中にトンネルが有りそこに路面電車が通っているというユニークな構造をしていました。当日は資料館がある最上階でなんかコスプレイベントをやっていたのでちょっと気まずかったのですが、資料館自体は入場無料で戦前の創業当時から現在に至るまでの様々な資料が展示されてまして、本当に無料で良いのかなって思っちゃいますね。

その後は近くにある原爆資料館に移動しましたが各地でのんびり過ごしすぎていたせいか、到着した時には既に閉館30分前というギリギリのタイミングになってしまいました。まあ幸いにも以前原爆資料館は広島でじっくり見た事があるので、ある程度共通な所はスキップしながら見てギリギリ見終えることが出来ました。様々な人々の細かい証言や記録映画とかも全然見れなかったので、またいつか軍艦島と合わせて行きたいですね。

原爆資料館は閉まるのが17時半と早かったのですが、次に向かったのが最後の観光地である出島です。ここは閉まるのが21時と遅かったのでラストに持ってきました。原爆資料館は急いで30分だったので、出島も1時間くらいで見られるのかなと思っていたのですがこれがもう広い広い。なんだかんだで出島に入ったのが19時くらいなのですが、なんだかんだで2時間位かかっちゃって出てくるのは閉館時間の21時になってしまいました。

f:id:hirarira_mp:20220203000457j:plain

出島の資料館群

出島はこんな感じで当時の町並みが再現されているのですが、恐ろしいことに再現された家屋1件1件が博物館になってまして、内部で江戸時代から明治大正に至るまでの出島の交易品やら当時のオランダ人の生活やらが事細かに解説されていて途中で疲れちゃいましたね。東京にも江戸東京たてもの園ってありますけど、それに匹敵するくらいの規模感でした。まあじっくり見て回ると半日くらいかかりますねこれは。

結局めぐり終わって一旦ホテルに戻って身支度をしていたら21時をすぎてまして、手頃な飲食店ももう空いていなかったので、初日に泊まったホテルの当たりまで戻ってきてラーメンを食べました。これなら二連泊でもいいような気はしますが2泊目の所はサウナがあったのでまあいい選択だったんじゃないかと思います。ラーメンも離れてましたけど結構美味しかったですね。

f:id:hirarira_mp:20220203002340j:plain

三八ラーメンで夕食

その後はホテルに戻って寝るだけ…とは行かなくてその後は夜遅くまでサウナ三昧をしていましたが、1時過ぎ位に冷凍サウナが閉められちゃったのでここで寝ることにしました。サウナの様子は銭湯開拓マップの方にレビュー書くのでここでは省略しておきます。

4日目:帰京

最終日は例によって本当に東京に戻るだけです。私の旅行は往路は普通列車で時間をかけて向かい復路は飛行機で一気に帰ることが多いのですが今回もそのパターンでした。

今回は長崎ということもあって長崎空港からLCCで一気に成田まで戻ります。長崎空港までは長崎バスターミナルから直行バスが出ているのでそれに乗車しました。

f:id:hirarira_mp:20220203003637j:plain

雰囲気のあるバスターミナル

バスターミナルから空港までは大体1時間くらいですが、乗り換え無しで移動できますし値段も1000円ちょうどとお手頃価格でした。そんなわけであっという間に長崎空港に到着し、搭乗手続きを済ませていざ出発!

長崎空港からも離陸をしてしまえばあっという間で2時間程度で成田に到着し、そこからはいつものアクセス特急で日暮里まで戻ってきて、そこからはいつもの経路で帰宅しました。

f:id:hirarira_mp:20220203004101j:plain

国際線も本数が戻ってきてた

そんなわけで今回の旅行記はここまでとなります。

またコロナが拡大してきてて落ち着くまでは旅行には行けないと思いますが、また落ち着いた頃に旅行行きたいですね。

それでは、また!